FNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFN
メール・マガジン
「FNサービス 問題解決おたすけマン」
================================================================
★第152号 ’02−09−13★
================================================================
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
引き分け無し
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●大概のTV番組は
<無くても良い>私ですが、野球中継について言えば無い<方が>良い。
ついでに、サッカー中継も。 どちらかが勝つだけの、所詮ゲーム。
いずれ結果やハイライトはニュースに出る。 長時間の釘付けは、私に
おいて残り少ない人生の無駄。 「スポーツは体に良くない」そうです
が、TVを観て運動不足になるのも「体に良くない」。
だろうにNHKBS1、自ら<最強の大リーグ>など称し、日によるが、
ほとんど<大リーグ中継チャンネル>。 公共電波の使い方として甚だ
心寒いが、思うに<敗戦以来の米国植民地原住民白痴化政策の一環>。
敢えて善意に解釈すれば、整備行き届いた球場、テキパキした試合運び、
心から楽しんでいる観客たち、過剰でない解説etc. 野球とその周辺の
<あるべき姿>を示す教育番組でもある。 問題は観る方の<学ばない
体質>、啓蒙になるかどうか。 いずれにせよ、ムナシイ、、
とか言いながら私も、イチローや野茂の活躍ぶりは欠かさずニュースで
観ます。 グローバル・スタンダードで通用する日本人、、やはり心が
熱くなる。 おーい、健闘、祈ってるぜ、、
*
アメリカと付き合えばどの国でも野球が盛んになる、わけではないのに
何故か我が国、明治の文明開化でたちまち。 野球の何が性に合ったか、
不思議です。 私も例外でなく、かつては夢中でした。
小学校ではお目こぼしライト8番、中学校では級友に先駆けてカーブを
自力開発、死球?!と見えてストライク! 全面ギザの<健康ボール>、
よく曲がりました。 高校時代はクラスの正捕手、草野球の4番、自社
チームではオーナーで監督でキャプテンで、、 そのように
プレーしてこそスポーツ、<観るだけのスポーツ・ファン>なんて私ゃ
認めないんだ。 そして上達の早道は、良い手本に学ぶこと。 浅草に
住んでいたので、後楽園まで都電16番線沿い、上野広小路から湯島の
切り通しを抜け、本郷3丁目から下って春日町。 下駄ばきでカラコロ、
毎度歩いて通いました。
尋常小卒で医療器械屋の丁稚になり、大八車を引いて東京中隈無く歩き
回った男が父親ですから、くれる小遣いは入場料分。 すぐそこだから、
と。 行くとなれば弁当持参、一日がかり。 昭和20年代中頃の話、
試合は午後でも、選手たちが現れるのは午前。 当時はプロも練習場が
無かったのかな? ネットにへばり付いて練習一式も<勉強>しました。
<先生>は川上、千葉、藤村、大下、、 豪華、殿堂入りの顔ぶれ。
課外特別授業?は昭和24年秋来日したサンフランシスコ・シールズ軍。
我が中学には2枚(!)の切符が割り当てられ、籤運良くその1枚を私
が獲得、六大学選抜軍との対戦を後楽園で観ることが出来ました。
選抜軍の投手は法政のサウスポー関根、そう、ヤクルトなどの監督から
解説者、あの関根潤三老の半世紀前。 僅差で破れはしたが健投、今も
瞼に浮かぶしなやかな、流れるような投球フォーム。 素晴らしかった、、
* *
そういう正統古典的ファンのくせに、そして、何でも学ぼう見てやろう、
で訪れたにしては本場の野球場、入ったことがありません。 仕事本位、
限られた時間、、 仕方ない。
その代わりと言うべく、アメリカ野球を主題にした本を沢山読みました。
映画も色々ありますし、ね。 尤も、野球ものに限りませんが映画には
脚色や演出が伴って、本で読むのとはずいぶん印象が違う、、
<フィールド・オブ・ドリームス>も、その一つ。 映画を観てその気
になり、原作<シューレス・ジョー>を読んだところ、、 あらら?!
しかしこの世とあの世の境い目での物語、映画にするにはあのくらいの
アレンジ、やむを得ないことかも。 本、映画、どちらもアメリカ人の
野球へのひたむきな想いや家族の絆の強さで心を打つ作品、でした。
しかし、その著者キンセラも長編第二作「アイオワ野球連盟」となると、
<訳者あとがき>にあるように、「いささか過剰すぎるほどの想像力を
もてあまして、作品の主題がぼやけてしま」い、ついて行きにくい。
(ひとのことは言えませんが、、)
* * *
野球記録狂のような主人公が、大リーグでプレーすることを夢見る友人
と共に、「時間の裂け目を通り抜け」て1908年のビッグ・イニングなる
町へ(1978年から)タイム・スリップする。 そこでは、
独立記念日に、ローカル・チーム<アイオワ野球連盟オールスターズ>
と大リーグ<シカゴ・カブス>がエキシビション・ゲームを行なうこと
になっている。 そして、始まったところ、、
実力伯仲、一進一退。 予定の7回で決着せず、途中何度か引き分けが
提案されたにも拘わらず、両チーム頑として受け容れず。 で、その日
は(本命の祝賀行事があるので)24回までで中断、
翌朝再開して、、からが大変。 延々40日、2614回、最後は伝説
のインディアン勇士(の霊?)のランニング・ホームランでアイオワが
勝つのだが、、 その間、その地域は大雨続き。 水しぶきを上げつつ、
町が洪水に押し流されているのも構わず、、という荒唐無稽。 さよう、
彼らにおいて<引き分け>などあり得ないことかくの如し、なのですね。
主力がそこに釘付けのため、公式戦のカブスは連戦連敗、、でも退く気
なし。 シカゴから招かれた伝説的名審判ビル・クレムも断固、「試合
は一方のチームが勝つか、双方のキャプテンが中止に同意するまで、、
決着がつくまで、、」と。
第24日、「熱戦の噂を聞いた」大統領セオドア・ローズヴェルトが雨
の中、馬に乗って現われた時には1554回、、 要するに
tall taleなのですが、アチコチに実名が散りばめられて臨場感を醸し出す。
不吉の象徴<黒い天使像>もその一つ。
<black angel iowa city> で検索するとアイオワ・シティ公式頁、「オーク・セメタリーに、、」と
あって、実在。 この物語では主題の一部にすらなっていますが、前作
<シューレス・ジョー>(p.180) でもチラリと言及されておりました。
しかし、記述は必ずしも忠実でない。 その理由を著者自身、(<訳者
あとがき>からの拝借ですが)短編集序文に述べていわく、
「だれかがこういっている。『ばかげたことを企てない人間は、決して
不可能なことをなしとげられない』と。 わたしはつねに不可能事を、、
無謀なことを企てることが好きだ。事実とファンタジーを織りなすこと
が好きだ。 歴史を書きかえることが好きだ」
おお、Impossible Dream! キンセラもまたラ・マンチャの男、ドン・
キホーテ(前号参照)だったのですね。
************
●とにかくトコトン
やらないと気が済まない人たちのオハナシではあるが、どうやら現実も
そうらしい。 先頃のMLBオールスター戦、延長11回で選手は使い
果たし、2日後に公式戦再開を控え、協議の結果やむなく引き分け、、
は、きわめて常識的な判断、と思いきやたちまちスタンドはブーイング、
翌日のマスコミは厳しい批判。 なるほど、<トコトン>は国民的特性、、
<アイオワ>を読んでいながら、決着がつくまで戦うのがアチラ風、と
改めて知った不覚。 恥じつつネットで拾い読みすると、「引き分けは
ローカル・ルール」。 そう、我が国はローカル、私の知識もローカル、、
何せコチラのは<地球の裏側のもう一つの>あるいは<ベースボールで
ない>野球。 意地で40日2千回、なんて(いくら作り話でも)無茶
なこと、するわけ無い。 それが常識アチラは非常識、はコチラの考え、、
果たしてアチラではコミッショナーが早速、「引き分けは2度とない」
と言明。 ほら、やっぱり<トコトン>人種なんだ、、
*
一事が万事、<トコトン>がMLBのアチコチに姿を変えて表われます。
トコトン体力強化、でステロイド剤。 トコトン契約交渉、で巨額年俸。
もっと! もっと! キリ無しの精神構造。 だから労使対抗戦も、
ストライキ!となれば、これまた<引き分け無し>。 1994年のストは
翌年開幕までかかって客を失い、未だに93年レベルに戻せていない由。
本年は幸い間際に回避されましたが、過去8回の労使交渉はすべてスト
かロックアウト。 以前からファン離れの加速、視聴率の低下、もはや
<国技>の座はアメフトに、と言われつつ、なのにどちらも譲らない。
コドモじゃなし、理性を働かせれば<トコトン>にブレーキがかかって
妥協へ向かいそうなものですが、、
Rational Process の故郷なのに、とやや信じがたい思い。 だが、野球だけでなく、
* *
ブッシュ大統領が9・11テロ事件で「戦争!」を宣言し、以後イラク
攻撃・フセイン抹殺を叫んで止まないのも、<トコトン>体質の表われ
でしょう。 果たして
Rational な決断と言えるのか、疑わしい。
産軍共同体にネジを巻かれてのことか、彼自身も関わる石油利権のため
か、小泉さん、分かってるのかな? 訊いたのかな? いったいどんな
MUST、WANT で<攻撃>が最適案として選ばれたのか? とか。
コチラも巻き込まれる話になるのなら、そこにコチラの
MUST、WANT も加えてもらわにゃ。 もちろん
WANT の重み付けにも違いがあるだろう。それらの総合から、<戦争>でない案の方がベター、の判断になるかも。
それでもテキが譲らなかったら、マイナス影響の想定不十分を衝いたり、
マイナス影響対策の適否を論じたり、、 すりゃ良いのだが、こちらは
植民地原住民のライオン酋長、そこまで宗主に立ち向かえるか、どうか。
* * *
今や<イスラム対キリスト教>の様相ですが、たまたまどちらも一神教。
それが<譲らず、トコトン>体質になった根本原因かも。 比べて我々
ヤオヨロズ方式はおおらか。 来たるは拒まず、ほとんど無節操。
しかし<モメない>が最大の
WANT 、むしろ<それしか無い>、という我が文化は世界の少数派、かえって理解されにくい。 お近くの諸国も
殊にモメるのを厭わない人々、<引き分け>嫌い。 で、気づくと、
グローバル・スタンダードは第一に多数決、第二に<譲らない>者勝ち
のようです。 その世界で負けずに済ませるには、相手との違いを認識
しつつ、知力で渡り合うのみ。 具体的には、まず
相手の主張の根拠を探り、そこに潜むアンバランスを衝くこと。 それ
は全然難しくない。 Rational Process に沿って質問すれば、相手の
重点が何か、どの部分が省かれているか、すぐ見て取れますから。
**********
●<譲らない>タイプは
グローバルと言わず、あなたの周辺にもいるはず。 盗人にも三分の理、
理不尽を敢えてする人ほど自己正当化にはご執心。 それが心理的防衛
機制の一つ<合理化>、即ち
rationalization。 似て非なる、だが、
一種の
rational 。 だから対抗手段も rational でなくちゃ。 幸いテキのは
process になってない。 勝ち目はコチラにある。 尤も
テキを倒す、潰す、まで過激なことは、<トコトン>でない我々、普通
しませんな。 何とか妥協して<引き分け>、併存共生の道を模索する、、
その適正公平のための
Rational Process、<譲り合い思考のツール>。■竹島元一■
■今週の
<私の写真集から>は、 ★クヤホガ川★
================================================================
FNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFNFN
■
ホームページへ戻る